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地下鉄サリン2人の被害者「苦しみ語り継ぐ」(読売新聞)

 猛毒の化学物質サリンによって6000人以上が被害に遭い、13人の命が奪われた「地下鉄サリン事件」から20日で15年になる。

 あの日、同じ電車に乗り合わせた2人の被害者が、事件後、偶然に出会った。2人が恐怖や後遺症を乗り越えられたのは、苦しみを互いに語り合い、悩みを共有できたからだった。今、事件の風化が懸念される中で、2人は周囲に少しずつその体験を語ろうとしている。「二度と同じ事件を起こさないために、私たちには語り継ぐ責任がある」と――。

 1995年3月20日の午前8時すぎ、埼玉県草加市の山本清隆さん(75)は勤務先に向かうため地下鉄日比谷線に乗っていた。小伝馬町駅(東京都中央区)に電車が止まると構内はサリンが充満していて、山本さんは地上に出た10分ほど後に意識を失った。

 それから3年8か月後の98年11月。山本さんが自宅近くの整形外科で看護助手の女性に「サリンの被害に遭った」と打ち明けると、女性の夫も同じ電車にいた被害者だとわかった。自転車で10分ほどの所に住む光野充さん(68)だった。

 山本さんは孤独感を一人で抱え込んでいた。人々が倒れ、手足をけいれんさせていた小伝馬町駅周辺の記憶が消えない。左手の指には後遺症のしびれが残った。

 会社に労災を訴えたが理解が得られず、家族に「あきらめるしかない」と言われたこともあった。それが「同じ被害者の光野さんが近くにいると分かり、心強くなった」という。

 光野さんも2月や3月になると、しびれや体の硬直などの異変を感じていた。PTSD(心的外傷後ストレス障害)の一種「記念日症候群」。症状が出ると山本さんに電話をして話し相手になってもらった。「被害者同士、細かな説明をしなくてもわかってくれる」という思いがあった。

 10年後の2005年3月19日、山本さんは光野さんに誘われ、乗客4人が命を落とした小伝馬町駅のホームに立った。「新たな一歩が踏み出せた」。恐怖から同駅に近寄れなかった山本さんの目に涙があふれた。

 2、3年前から山本さんはスイミングの仲間や近所の人に、事件のことを語れるようになった。現場で見た悲惨な光景を言葉にするのは15年たった今も楽ではない。しかし他の人に同じ苦しみを味わってほしくないという思いも年々強くなる。光野さんともこう話している。

 「私たちが体験を語ることで、事件の風化を少しでも防ぎたい」

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